【TEPPEN】二桁に到達。飛竜から見たおじさんとおばさんと浮浪者
ランクが二桁に到達しました。
わーい pic.twitter.com/yBLI9ytWHT
— せと (@Seto0130) 2019年8月21日
ツイートではなんとも腑抜けた感じですが実際は罵詈雑言をスマホに浴びせながらやってました。
相性ですが、レウス視点だと(左がレウス右が相手)
リュウ: 7:3。もっとあると思うが結構波動噛み合うときつい。基本勝つべき。
ウェスカー: 選別は4:6。きつい。ウロボロスならいける。でも怖い。
モリガン: 1:9。終わってる。が、プレイングと運で勝てたりする。
基本的な戦い方は省くが、特にウェスカーが出すタイラントがやばい。
これをこちらのユニットで殴り殺すと場にいる攻撃1のユニットがみんな死ぬ。
逆鱗のデッキに含まれるユニットのほとんどが攻撃1なのでぶっ刺さる。
これをケアせず適当にユニットを出していると2体とか持っていかれる。
めちゃくちゃな損をするはめになる。そしてこいつはリベンジで4/9で帰ってくる。
だから、対ウェスカーにおいてこちらがなにかを出し、矢印の届く寸前に攻撃力アップのアクションを打つことが大事である(寸前じゃなくてもいいかなとかも思うがシールドもちで殴れるとぼちぼち良いのでやっている)ように思う。
そしてその際に別のとこに攻撃1のユニットを出すとそいつが死ぬので矢印の到達を待つべきである。
これはほんの一例であるが、このゲームは特に初見殺しが多い印象である。
変わったデッキとの遭遇もあり、対応できずに負けることもある。
経験が比較的出やすいゲームで面白いと思う。
今後も頑張ってほしい。
— せと (@Seto0130) 2019年8月21日
マリガンの実装をお願いします
【所感】TEPPENの解説、環境について(チャンピオン到達に際して)
なんか最近ではCMもやってるTEPPENについて。
ゲームのシステムとしてはクラロワとDCG(ハースやシャドバ)を混ぜた感じ。
動画を見るのが早いと思う。YouTubeのファミ通のチャンネルでちょもす氏がやっています。
カード?には色がありまして、赤緑紫黒が存在し、それぞれに二人のリーダーが設けられています。
カプコンとガンホーということで、カプコンのキャラが出てきます。
現在の環境ですが、リオレウス、リュウ、モリガン、ウェスカーが強い状態です。
僕はリオレウスを使ってチャンピオン(などと言っているが別に大したものでもない)になりました。
スマホで気楽にできるということや、僕のように無課金でもデッキが多少作れるなど、まぁまぁ魅力的と思います。
ただ問題が幾らかあります。
このゲームは今のところ、キャラごとの相性がかなり露骨にでるものとなっています。
なのでマッチングによっては終わってる対戦とかもあります。そうなるとワンチャン狙うしかありません。
でもまぁそこは割り切ってチャンピオンになりました。
また、これは僕が一番嫌なことなのですが、たまにあるタイミングでゲームが止まる(フリーズとかではなくゲームが進展しなくなる不具合)ことがあります。この状態になると、「どちらかが抜けるまで」試合が終わりません。そして抜けた方が負けになります。
つまり、ひたすら待ってても終わらないのでやむなく抜け、敗北扱いとなることが避けられません。ぼくも負け星付けたくないから粘ってたりしてましたが、ほんとに不毛です。
改善を待ってます。
あとはデッキを共有するシステム。QRでの共有ができますが、そのスクリーンショットを保存してもスマホのみで完結してデッキをコピーするということができません。ギャラリーの画像をテッペン内では読み取れないということです。なので別の媒体(パソコンとか)に移す必要があります。
これも改善を待ってます。
なんだかウンチだなとか思うかもしれませんが、それなりに面白いと思います。今後のアプデによる更なる飛躍を待ち望んでいます。
みなさんも是非。
一人でいながらも集団にいながらも独り
一人暮らしというのは幾分面白いけれど、心理的な面においてとても不安になる。
ネットにおいてはいくらかのコミュニティに属していて、楽しくしている。
でも、もっと個人的な部分において僕は孤独であるし、それ故に眠れずこのような駄文を書き連ねるに至るわけである。
PS4がないということから、スト5はできていない。
ダイアくらいまで上がれる実力ならアーケードもやる気が出るけれど、そうではないし、加えて金もない。
最近はOWを楽しんでいる。野良でやる分には日本人が少ない。
いくらかゲーム内での状況を伝える言葉は閊えるけど、他はからきしわからない。
クイックのグループで英語を使うとこに入ったけれど、ゲーム以外の話の内容はつかめなかった。
途中で韓国人のひとが入ってきて、日本語が少し話せたから通訳してもらった。
ピックも好きなのを選んでよいといわれたし、とてもやさしかった。
オーバーウォッチはそのゲーム自体はとても優れていると思う。
でも、プレイヤーの多くは人間的側面において苦労する。
ピック(キャラ選択)の問題であったり、プレイングであったり、いろいろと問題を抱えている。
一時は下火になったけれど、最近はそれなりに持ち直しつつあるのだろうか。
期待している。
スマブラもやっているけれど、どうも難しい。
格ゲー勢ならできるだろといわれるけれど全然である。
僕のような雑魚が苦言を呈すのもおかしいけれど、「世界戦闘力」というシステムはプレイヤー(主に初心者)のやる気を減退させる指標であるように感じる。
スト5ですら、ランクの上がりにくさを指摘されているが、スマブラの戦闘力は、二回負けるだけで30万あたりから8万あたりまで落とされる。
やっぱり数値の与える影響は大きく、印象が悪い。
加えて、そのあとはよほど勝たないと上がれない。
数百ずつしか数字が上昇しないのだ。
僕はスト5で苦労したりしてるから耐えているけれど、たぶん、多くの人がこれでゲームをやめてしまう。数字というのはとても影響の強いものである。
正当な評価――それは少なくとも表面上、数値などで順当にもたらせれる指標――というのはゲームにおいても社会においても重要な要素だと思う。
ある種世界戦闘力は社会の荒波のようなものである。
終わり。
外套膜を破り
僕はとりあえずひとつの苦難──それはとても陳腐なもので、しかも僕はそれとうまく向き合えたかどうかわからない──を乗り越えた。ゲームに打ち込んでもよい状況である。環境などは揃えられていないのだが。
僕は福岡へ移る。
これは結構アトバンテージになると思う。
FF内の方に福岡のひとは多いし、なにかの際にお会いしたい。
ただ、問題としてはPS4を恐らく買わなければならない。
Switchとスマブラは購入したが、PS4に関しては置いていかなくてはならない。
だから、スト5をやりたいけれど、すこし手間取りそうである。
僕は焦燥感を覚えている。
というのも、色々ゲームに手を出してきたが、これといって誇れるタイトルがない。
だからなにかで強くなり打ち込むということを欠いている状況が長期に渡るのが怖い。
僕はひとつ、薄い外套膜を破ったけれども、すぐに着手しなくてはならない。
今後ともよろしくお願い致します。
コンテンツ-女=繁栄
随分酷い文言だ。
これは配信者加藤純一が言っていた言葉だったと思う。彼は行き過ぎた言動はあるけれど共感できる部分も多い。
彼とは異なる切り口で書くことになるかもしれない。ただ実際僕の感じたこととして、あながち間違ってもないかもしれないと感じたのです。
まず、女性に非はない。
タイトルからして如何にも女に非がありそうな、女性批判的に感じるものであろう。
加藤純一がどういう風にして言ったかあまり記憶してないので僕の論を展開させていただく。
僕個人の経験として、男のみのコミュニティから、ほぼ均一に男女のいるコミュニティへ移転したことから、とても苦しみを感じました。
重ねて言うけれど、女性に非はないと僕は考えます。
しかしながら、その存在によって取り上げる話題が色欲に塗れたものに変容してしまうと僕は感じたのです。
ネットのコミュニティなんていうのは、まぁとても飢えている(無論全員がそうとは言わない)。彼らはリアルにおいてありつけない機会に、顔面を開示する必要なくしてありつける。顔も見えないから割と喋れるし、ラインを超えたことを話すことも出来る。
彼らの欲求は機会に触れた刹那爆発し、少なくとも僕にとっては陳腐な話題へと変化してしまう。
僕はインターネット恋愛なるものの是非は、はっきり言ってどうでもいい。リアルだろうがネットだろうが、良いと思えば交際すればいい。そこになんの隔たりはないと考える。好きにやればいい。というか、僕の判断する範疇にないし、権利も持ち合わせていない。
僕はそんなふうにして、特筆して興味のない話をしているコミュニティに在ることになんら価値を感じないし、そのコミュニティに何かしらのメリットを付与することもできない。
ここで断っておきたい。
ここにおいて悪いのは完全に僕である。
そういったコミュニティがあることはなんの罪でもない。馴染めない僕が悪いし、見誤った僕に責任がある。
そして、これはなんの愚痴でもなく、僕の思想というか、あるいは僕のような人間(いるのかかなり怪しい)はそれに属してはならないという、新たに獲得した経験則を記録として残したいだけなのだ。
物凄く陳腐で、兎角あほらしいが、とどのつまり僕はなんのしがらみもなく居られるコミュニティに回帰すべきなのだと思う限りなのだ。
こんな駄文が誰の目に入るわけでもないと思うが、ある種僕への戒めとしてここに記す。
見て不愉快になったら申し訳ない。
インターネットで臭い文を書くことについて
タイトル通りである。
なにを「臭い」とするか定義を記す。
変な比喩や抽象的表現や投げかけるような文体や狂気的信仰、一人芝居。
イタい、という表現が近い。
人によっては堅い文体もそう感じるかもしれない。なので今回は比較的砕けたものにする。
臭い文を書きたくなる人間は五万といる。
実際、ツイートだったりあるいは何かの記事だったり。恐らくわたしの過去のものにもそれと言えるものがあると思います。
これらは、小説においては許されます。
小説においてそういう、スピリチュアルな表現やメタファーだったりはでてきます。
つまり、わたしたちはものを書く「媒体」に目を向けなければならないんじゃあないかと思います。ブログであっても、Twitterのプロフィールに貼ってあって、わたしが文を覗いて痛々しく感じた経験があります。
したがって、そういう雰囲気がないと、読む気はおきないわけですね。
気をつけたい。
クオリアに色彩を映す言葉
クオリア(qualia)
感覚的・主観的な経験にもとづく独特の質感。「秋空の青くすがすがしい感じ」「フルートの音色のような高く澄んだ感じ」など。感覚質。(デジタル大辞泉より)
辞書に書いてある意味は掴みにくいけれど、端的に言ってしまえば、クオリアとは「感覚という経験」である。
例にもあるように、色や音色など、それとそれから起因する感情による体感。
それが文学においてどのように表現されるのか稚拙な思考であるが纏めておきたい。
僕の好む表現として「静謐」というものがある。僕は、というか多くの人が感じると思うけど、この言葉に文字通りの静けさと、青を感じる。加えて埃っぽさのようなものも感じる。コンテクストの前後でそのニュアンスは変わるけれど、「驟雨の降りしきる秋、少し暗い昼下がりに電灯をつけず、しばらく換気のなされていない部屋に居る」ようなアトモスフィアを覚える。
こういった感覚を──先述したものは具体的であるし、個々によってその様相は変化するが──僕はその言葉の内に感じるのである。
言葉の選出、表記のしかた(ひらがなやカタカナ、漢字など)はそのニュアンスを大きく変容させる。これらを吟味して文を構成していきたい。
言葉は色彩を有し、刹那、意識を染めるのだ。