インターネットで臭い文を書くことについて

タイトル通りである。

なにを「臭い」とするか定義を記す。

変な比喩や抽象的表現や投げかけるような文体や狂気的信仰、一人芝居。

イタい、という表現が近い。

人によっては堅い文体もそう感じるかもしれない。なので今回は比較的砕けたものにする。

 

臭い文を書きたくなる人間は五万といる。

実際、ツイートだったりあるいは何かの記事だったり。恐らくわたしの過去のものにもそれと言えるものがあると思います。

 

これらは、小説においては許されます。

小説においてそういう、スピリチュアルな表現やメタファーだったりはでてきます。

 

つまり、わたしたちはものを書く「媒体」に目を向けなければならないんじゃあないかと思います。ブログであっても、Twitterのプロフィールに貼ってあって、わたしが文を覗いて痛々しく感じた経験があります。

したがって、そういう雰囲気がないと、読む気はおきないわけですね。

 

気をつけたい。