ゲームが僕に与えたアニマ

今週のお題「ゲームの思い出」
よくわからないが、
上記のお題なるものが存在していたので、
ゲームの思い出━━━というよりは僕に授けた知識の振り返りというべきか━━━を書こうと思う。

過去に書いた気もしなくもないが、僕がゲームから学んだことは二つに大別される。
ひとつは「純粋な知識」だ。
例えば、僕はファイナルファンタジーで神(デザインは多少異なれど、そのアウラや名称は宗教的事実と反さない)の存在を知り、純粋な基礎知識を得た。呪文も英語が元として名付けられていて面白い(特に無属性呪文のルインなんかはなかなかセンスに溢れている)。

また、そんな知識の中でもより精神的な━━━それはバイアスにより誤解しがちなことを正すような━━━成長も促した。
「僕にその手を汚せというのか」の科白で有名なタクティクスオウガは僕に正義というものの多元性を説いた。ある正義に尽くすために一方の正義を捨てることになるというのは鮮明なインパクトを与えた。

そしてふたつめは「努力と情熱」である。

今日のゲームシーンにおいてe-sportsの名は広まっている。ゲームはリアルの事物よりもアクセスしやすく、また身体的差異による不利が(基本的に)ない。そしてより技術介入度の高いゲームは獲得し得なかった情熱をプレイヤーに付与する。
理不尽な点の多い今日の社会よりも筋が通っていて平等さを感ぜられる。
遇にゲームが社会的地位を有していなかっただけであり、その他のスポーツや取り組みと同様に素晴らしいと知るのだ。

すなわち、ゲームは僕に知恵と熱意を授け、今の僕の核に色濃く影響を残した。ゲームは文学にもなりうるし、スポーツにもなりうる。その形態をもってして様々な概念に変容する優秀な媒体なのだ。